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「~だと思っていて」という話し方に違和感・不快感_その根源は?

近年、主に若手論者による「・・・だと思っていて」という言い回しをよく耳にします。

私はとても不快に感じ、日本語としての違和感も覚えます。

そう思っているのは自分だけなのか?そんな疑問を抱きつつネット検索すると、続々出てくる同様の意見。

これらの意見を読みつつ、改めて、「~だと思っていて」が使われる背景や無意識の意図、違和感を感じる理由などを考えてみました。

 

ちなみに、私は偏差値40付近をうろうろした男。デキル人に対する劣等感とひがみも含めた記事として読んでいただければ幸いに思います。


個人的な直感・感想を根拠のように装うテクニック

「~だと思っていて」という言い回しは、最近、“デキル人”たる若手論者がよく使いますが、この言い回しでは「思っています」と言い切らないことで、「思っている」ことに力点が置かれず、そのあとに続く結論が主役として聞こえます。

単に個人が直感的に思ったことにすぎないにも関わらず、「~と思っていて」とさらっと通過してしまうので、聞き手の方は、「さっき、何か根拠を言っていたようだ」と思ってしまい、いかにも信頼性のある根拠を言っていたかのような錯覚に陥ります。

このような錯覚の中で、もっともらしい結論が導きだせたように思わせる効果があるように感じます。

得てして、難しいロジックであるはずの現象に対して、自分の分析こそが正しいのだという偉ぶった感じに聞こえることが多いのも特徴ではないでしょうか。

しかし、根拠のように錯覚してしまったのは、実は、単に個人的に感じた意見にすぎなかったのです。

 


「~だと思っていて」はどういう場面で登場するか

・「~だと思っていて」が使われない例

「私はカレーライスが世界中の料理の中で一番美味しいと思っていて、だから1週間に1回は食べるんです」

こういう軽い場面で使われることはあまり無いように思います。

「~だと思っていて」が、“単に個人の主観を述べたまで”という解釈なら、こういう軽い場面で使われてもよさそうなものですが、このような使い方は、あまり聞いたことがありません。

・「~だと思っていて」が使われる例

「~だと思っていて」が良く使われるのは、難しい議論や社会事象等に対する論評の場面です。

「私は、この時の消費者の意識こそが問題の根源だと思っていて、そのことが巡り巡って低賃金に繋がっているんですよ」

このように、めちゃくちゃ難しい分析などを、もっともらしく結論づけるために使われることが多いように感じます。

一見、専門的なトーンやロジカルな結論を導き出しているように聞こえます。

しかし、根拠のように聞こえるのは、実際には、根拠といえるようなものではなく、単に個人的で直感的な思い付きに近い意見にすぎません。

 

マウントを取ったまま逃げ道を作っている


この安直でありながら偉そうな論調に対して、明確な根拠をもって反論されたら、どうなるでしょう。

ところが、この言い回しをつかう人たちは次のように逃げることができます。

「いやいや、私は単に、自分が直感的に感じたことを根拠にしたとしたら、そうなるってことを言ったまでですから。

今、あなたがひとつの根拠を示してくれたことは、今後の議論のために非常に有意義なことだと思いますよ。」

なんて、マウントをとったまま、相手を評価する立場をキープしてしまうのです。


そもそも日本語が変である

「~だと思ていて」と「~だ」体であるのに対して、続く言葉は、「~です、ます」体であることが多いのですが、どうして「~だと思っていまして」と言わないでしょうか。

これは、おそらく「~だと思っている」ことをなるべくさらりと通過させたいという思いの表れではないでしょうか。

なるべくさらっと通過させたうえで、後に根拠として使ってしまおうというマジックとなっています。

「日本語が変」という視点から紐解いても、このあざとい言い回しのマジックが浮かび上がります。

 

ネット上で表明される「~だと思ていて」に対する意見

ネット上には、「~だと思っていて」に対して、違和感を覚える、という意見が飛び交っています。

「~だと思っていて」に明確な悪意があるわけでもない、ましてや犯罪性のかけらもないので、不満に思いながらも、多くの人が我慢していたのです。

その我慢が限界に達したことで、そのイライラが爆発したかのような印象を受けます。

その一端を確認してみましょう。

 


「~だと思っていて」という話し方はなぜイラつくのかについて考えてみたいと思っていて(こまだこまのロバの耳ブログより)
【意見の要旨】今まで私がさんざん考えてきた結果だと言わんばかりの偉ぶった感じがする。

 

どうも耳につく…「●●だと思っていて~」という説明(note/Kenji ー佐原賢治ーより)

【意見の要旨】個人的にそう思うという情緒的で一時的な思考であるように聞こえるので、ちゃんとしたロジックがあるのなら「~と考えます」と言った方が良いのではないか。


思っていて、という言い方。(発言小町より)
【意見の要旨】とにかく違和感があって、好きなタレントさんがこの言い方をしているとすごくガッカリする。

 

教えて!gooのベストアンサーより

【意見の要旨】違ったときにダメージが小さくなるようにとの予防線ではないか。互いに傷つかないための処世術のひとつ。

 

yahoo!知恵袋のベストアンサーより
【意見の要旨】自分の主観であることを強調していて、反論しずらい。しかし、一見謙虚なようで「自分が正しい」という雰囲気が顔と態度に表れている。

 

私は~だと思っていて、という言い方(japanese-teacher-2019のブログより)

【意見の要旨】「思っていて・・・」のあとにですます体が続く不接続の違和感がある。

 

まとめ

ついつい、イライラが募ってしまい、記事にしてしまいましたが、「~だと思っていて」を使っている人は、決して悪人というわけではなく、何の罪もないわけでありまして、このような方々を攻撃するかのような論調については、笑いを取るための一種のツッコミのようなものだと受け取っていただけたら幸いでございます。

しかし、それにしても、私と同じような感想を持ち、ブログ等に書いている人が非常に多かったので、ある意味「自分は孤独じゃない」と思ったひとときでもありました。

大変失礼いたしました。

以上です。

 

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