
最近よく耳にする「推し活」と、昔からあるようで、ここ数年さらに存在感を増している「コスプレ」。
一見すると、
・誰かを応援する行為
・誰かになりきる趣味
で、まったく別の文化のように見えます。
ですが、少し立ち止まって考えてみると、この二つは、とても近い場所から生まれているのではないか、そんな気がしてきました。
推し活とコスプレは、別物に見えてよく似ている

推し活は、自分が前に出る活動ではありません。
ステージに立つのは「推し」であり、自分は応援する側です。
一方、コスプレは、自分が前に出る行為です。
ただし、そこにいるのは「素の自分」ではなく、キャラクターです。
表面的には正反対に見えますが、どちらにも共通している点があります。
それは、「素の自分を、そのまま社会に差し出さなくていい」ということです。
素の自分は、評価されすぎる(常に評価に晒される)存在になった

今の社会では、「自分でいる」だけで評価がついて回ります。
仕事、年収、肩書き、見た目、コミュニケーション能力。
SNSでは、発言一つ、写真一枚で反応が返ってきます。
つまり、素の自分でいること自体が、わりと高コストなのです。
その状態で、「自分を表現しよう」「自分らしく生きよう」と言われても、正直、しんどいと感じる人がいても不思議ではありません。
「仮の役割」があると、人は自由になる

推し活には、「推し」という役割があります。
コスプレには、「キャラクター」という役割があります。
この役割があることで、
・何を応援すればいいかが明確になる
・どう振る舞えばいいかの指針ができる
・評価の基準が「自分そのもの」ではなくなる
という効果が生まれます。
キャラクターに成りきっている間、評価されるのは「再現度」や「世界観」であって、人生そのものではありません。
これは逃げではなく、とても合理的な自己防衛だと思います。
「自分じゃダメなのか?」という問いについて
ここでよく聞こえてくるのが、「結局、自分じゃダメってこと?」という問いです。
でも、たぶん少し違います。
多くの人が感じているのは、
「自分がダメ」なのではなく、「自分でい続ける負荷が重すぎる」という感覚ではないでしょうか。
だから一時的に、
・誰かを応援する立場に回る
・誰かのキャラクターを借りる
そうすることで、呼吸が楽になる。
それだけの話なのだと思います。
発展形としての「アバター」「バーチャル」「メタバース」

この流れの延長線上にあるのが、アバター、バーチャル空間、メタバースです。
顔も年齢も肩書きも関係なく、「設定された自分」でいられる世界。
推し活やコスプレで培われた「仮の自分で関わる感覚」が、
より日常的なものとして広がり始めています。
これは一過性の流行というより、今の社会に適応するための、新しい生き方の選択肢なのかもしれません。
だから、Tシャツにしてみました

こうした考えを、長い文章で語るのも一つの方法ですが、もっと軽く、もっと日常に置ける形もあると思いました。
そこで、このテーマを言葉にしたTシャツを作ってみました。
主張しすぎず、でも、分かる人には分かる。
そんな距離感のメッセージTシャツです。
なお、Tシャツ以外にも、パーカー、クリアファイル、トートバッグなど各種取り揃えております。→ リンク
まとめ:推し活とコスプレが増えた時代に、私たちは何を探しているのか
推し活とコスプレが増えた時代に、私たちは何を探しているのか
推し活も、コスプレも、そしてアバターやバーチャルも。
それらはすべて、「自分を捨てる」行為ではありません。
むしろ、自分を守るために選ばれた、やさしい工夫なのだと思います。
素の自分でいるのがつらい日があってもいい。
今日は、誰かでいてもいい。
そんな余白を、もう少し許せる社会であってほしいですね。
スポンサーリンク