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「標準」を求める社会の息苦しさと、私のポジションづくり

大自然が好きでも田舎が暮らしづらい理由

田舎育ちの私は、自然が大好きだった。山菜を採り、川で魚を釣って食べる──そんな時間は今でも宝物だ。
けれども、田舎のコミュニティはどうしても肌に合わなかった。小さな町の人間関係は、距離が近すぎる。野球やサッカーの話題に興味を持ち、流行の映画や音楽を語り合える“標準的な人物”でいなければ、居場所を見つけるのが難しかった。

都会の心地よさを知る

だから私は、大学進学を機に都会に出た。
就職先も迷わず都市部を選んだ。都会の人間関係は、ちょうどよい距離感を保てるのが心地よかった。誰にも干渉されず、人に会いたくなったら酒場に行けばいい。それくらいの緩やかさが、自分には合っていたのだと思う。

 

特に、音楽活動を始めたとき、その選択は間違っていなかったと感じた。私はオリジナルのヘヴィメタルを演奏したかった。マイナーなジャンルゆえ、仲間を探し、練習やライブをするには、多様な趣味を持つ人が集まり、活動の場も豊富な都会でなければ難しい。
「標準」から少し外れた自分を、都会は受け入れてくれた。

本当の自分の居場所はどこだろう

しかし、家庭を持ち、バンドを続けられなくなったとたん、何か大切なものを失った気がした。ヘヴィメタルに費やしてきた情熱の代わりに、都会で暮らす理由がふっと薄れてしまったのだ。
「定年退職したら、田舎に住みたいな」──そんな思いが頭をよぎる。

だが同時に、田舎を出てきたもう一つの理由が浮かんできた。
そう、人付き合いの濃さだ。

田舎は自然豊かで魅力的だけれど、その分、コミュニティは密接だ。村祭りの手伝い、神社の清掃、地域の会合……。
ヘヴィメタルをやりたいのに、和太鼓チームへの参加を強要されたら悲劇だ!」と想像して、思わず苦笑いする。

苦手なのは「同調圧力

社会学の研究でも、小さな共同体では「同調圧力」が強く働くことが知られている。少数派や変わり者に対しては、「和を乱さないか」と警戒されやすい。対して、都市は匿名性が高く、人の多様性を前提にした空間だ。
そのため、標準から外れた価値観を持っていても、孤立せずに暮らせる余地が大きいのだという。

では、私のように「田舎の自然は好きだが、濃密な人間関係は苦手」という人間は、どこに身を置けばよいのだろうか。

自分のポジションを築く戦略

おそらく、田舎に戻るなら「変人ポジション」を確立するのが得策なのかもしれない。

「あの人はちょっと変わっているから、お祭りには誘わないほうがいいかも」
「神社の清掃なんて来ないだろうね」

そう思われるくらいの距離を保ちつつ、気の合う少数の人とだけ付き合う。都会では特別でも何でもなかった自分も、田舎では“変わり者”と呼ばれるだろう。それを覚悟した上で、あえて外れの立場を選ぶ。
それは、息苦しい「標準」から自由になるための、自分なりの戦略だ。

まとめ~田舎に求められる関わり方の多様性

最近は、地方に移住しても「適度な距離感」を求める人が増えているという。地域活動に積極的に関わる人もいれば、マイペースに暮らす人もいる。社会学者によると、これからの田舎は「関わり方の多様性」を許容できるかどうかが鍵になるそうだ。

私にとっての理想は、田舎の豊かな自然に囲まれながら、少しだけ「よそ者」でいることだ。
コミュニティの中で無理に“標準”を演じるのではなく、「あの人はああいう人だから」と思われる立ち位置を確保する。そうすれば、田舎でも窮屈さを感じずに暮らせるかもしれない。

 

結局のところ、「標準を求める社会」の生きづらさは、どこにいても完全には消えないのだろう。
だからこそ、自分の価値観や心地よい距離感を大切にし、置かれた場所で無理のないポジションを築くことが、これからの生き方のヒントになるのではないかと思う。

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