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社会生活における調和の境界線〜100円ショップに対する許容の温度差

 

100円ショップに対する消費者の温度差が生む軋轢

100円ショップだから許される?いや許されない?

100円ショップなど格安店を利用する消費者は、その品質やサービスについてどのように向き合えば良いのでしょうか。

ある人「Aさん」は、製品に多少の不具合があっても、早期に壊れたとしても、「100円なんだからこんなものだ」と納得するでしょう。

一方で、ある人「Bさん」は「100円だろうが何だろうが、販売した製品の品質には責任を持つべきだ。不具合が生じたり、壊れたりして使えなくなるような商品は販売すべきではなく、そのような状態になった場合、誠意のある対応を求める」と言うかもしれません。

しかし、100円ショップに対して要求するレベルが高くなると、かさんだコストにより、100円という低価格では販売できなくなり、100円ショップという業態は崩壊するでしょう。

そうすると、「Aさん」をはじめ、100円ショップと良好な付き合いをしている消費者全体の利益を失ってしまうことにもなりかねません。

「調和の接点」はいくつも存在する

「Aさん」派が9割以上の圧倒的多数であれば、「Aさん」的な考えが、いわゆる「普通」ということになるでしょう。

しかし、「Bさん」派が3割程度存在していたとすれば、「Aさん」派が過半数以上だとしても、3割もいる「Bさん」派の考え方をないがしろにしてしまっては、軋轢が生じる可能性があります。

果たして、社会通念上、100円ショップの商品の品質やサービスは、どのようなレベルで消費者の要求と折り合いをつけるのが妥当なのでしょう。

先述の両者(AさんとBさん)は、まったく相いれない状態のようにも見えます。

しかし、「少なくとも子供が誤って怪我をすることがないように商品の安全性を保つことが100円ショップの商品の品質に求められる最低限のラインなのでは?」と提案してみたら、Bさんは渋々納得するかもしれません。

そのような条件ならば「Aさん」も、100円ショップ全体の経営にそれほど影響はないはずだから、自分はこれまでどおり100円ショップでの買い物を楽しめるだろうと、考えるでしょう。

その際、「では、100円ショップの販売品であるライターは、子供の安全に影響ないのですか?」と疑問を持つ人がいたとすると、「そのようなものは、子供が届く場所には置かないことが大人の責任です」という答えが想定でき、「Aさん」も「Bさん」も同意することでしょう。

社会の中に様々な考え方がある中で、考えの違うもの同士が折り合いを付けられそうな「調和の接点」はいくつもあります。


社会生活で問題を抱えないために



先述の「Aさん」、「Bさん」の場合には、互いの考え方の違いを理解することで、折り合いをつけることができました。

こういう経験を数多く経験することで、60歳、70歳になって、穏やかなお年寄りになっていくのでしょう。

しかし、「自分の考えこそが正義であって、他者は間違っている」という狭いエリアから抜け出せない人は、他者を攻撃するばかりで、社会の中で孤立していくでしょう。

このような思考の人は、60歳、70歳になるころには、自らの言動を「老害」と呼ばれることとなり、またある人は、殻に閉じこもってごみ屋敷を形成したりするのが目に見えてきます。

つまり、社会生活を円滑に過ごしていくためには、「調和の接点」の境界線付近に立ち、双方の景色を眺められる状態でいることが大切なのではないでしょうか。

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異なる価値観やニーズが共存できる社会とは

社会生活における「調和の境界線」とは、異なる価値観やニーズを持つ人々が、いかに共存し、互いの利益を守るために妥協点を見出すかという考え方です。

この概念は、100円ショップの事例に限らず、さまざまな場面で適用できます。以下では、さらに事例を膨らませつつ、その境界線がどのように形成されるのかを考察します。

【事例】公共の場におけるルールと自由の調和

例えば、公共の場での喫煙は多くの国で厳しく制限されています。喫煙者にとって、タバコを吸う自由は個人の権利であり、リラックスやストレス発散の手段です。一方で、非喫煙者にとっては受動喫煙が健康に悪影響を及ぼすため、喫煙は公共の場では不適切だと感じます。ここでは、喫煙者の「自由」と非喫煙者の「健康」の利益が衝突しています。

多くの国では、この問題に対して「喫煙エリアの設置」という形で妥協点が設けられています。喫煙者は指定された場所でタバコを吸うことで自由を保ち、非喫煙者はそれ以外の場所で健康を守るという形で、調和の境界線が描かれています。

このような仕組みは、双方の利益をある程度保ちつつ、共存を図るための「調和の接点」と言えます。

【事例】職場での働き方改革と生産性

職場における働き方改革も、社会における調和の境界線を考える上で興味深い事例です。

例えば、従業員はワークライフバランスを求め、働き方の柔軟性を求めます。一方で、企業は生産性や業績向上を重視し、従業員が一定の時間で効率的に働くことを期待しています。

テレワークやフレックスタイム制などの導入は、この両者のニーズを調和させる手段です。従業員が自分の生活スタイルに合わせて働くことができる一方で、企業も生産性を確保するための目標管理制度や評価制度を設けることで、柔軟性と生産性のバランスを取っています。これもまた、「調和の接点」を見出す過程の一つです。

【事例】コミュニティと個人の利益の衝突

地域コミュニティにおける騒音問題も、調和の境界線の一例です。

ある住民は、週末の夜にパーティーを開いて友人と楽しみたいと考える一方で、別の住民は静かな夜を過ごしたいと考えるかもしれません。パーティーを開くことは個人の自由であり楽しみでもありますが、過度な騒音は他の住民の安寧を妨げる行為となり、苦情の原因となります。

このような状況では、地域のルールや時間帯制限が「調和の接点」として機能します

一定の時間帯に音量を控えることで、パーティーを楽しむ側も周囲の静けさを守りたい側も、互いの利益を尊重する形で共存が可能になります。

調和を見出すための必要な視点

これらの事例からわかるように、社会生活においては、多様な価値観や利益が交錯しています。個人の自由と社会全体の調和を保つためには、相互理解と妥協が重要です。

さらに重要なのは、「他者の視点に立つ」ことです。自分の考えが唯一の正解だと思い込むことは、調和の接点を見失う原因となります。

調和を見出すためには、まず自分と異なる立場や価値観を理解し、そこにどのような合理性があるのかを考えることが必要です。このプロセスを経ることで、社会の中での共存が可能となり、より豊かな社会生活が築かれるのです。

これは家庭の中、学校の中などでも同様です。将来「老害」扱いされないためにも、そして自分自身が穏やかな気持ちでいられるよう「調和の接点」について、今一度考えてみませんか。

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