いつの世の中も、痩せようとダイエットをする人たちでいっぱい。痩せることが美徳であるかのような風潮は、今にはじまったことではありません。
一方で、痩せすぎて悩んでいる人の苦しみにフォーカスする場面は、ほとんど無いのではないでしょうか。
痩せすぎコンプレックスを克服した人のアンケートより
ここに「【ガリガリ】痩せすぎコンプレックスを克服した人に」と題したWEB記事があります。
この記事では、アンケート形式で、痩せすぎコンプレックスを持っていた人から克服体験を聞き出しています。
何を隠そう、私も痩せすぎコンプレックスで悩んだ一人の男です。
まずは、そのアンケートと同じ項目で、まずは私の回答を作ってみました。
◆◆◆筆者の場合◆◆◆
Q かつてどのようなコンプレックスを持っていましたか?
いくら食べても、筋トレをしても、体重が増えず。おまけに背も低いものですから、いかにも貧弱な体形で、その劣等感から、ずっと身をひそめるような青洲時代を過ごしていました。
Q その劣等感によって、実生活でどのような影響が出たか教えてください。
積極的な行動ができないことで、多様な人生経験をしたり人脈を広げたりということを避けて生きていました。自分の弱みを見せたくないあまり、架空の自分を装うのが当たり前になり、人と信頼関係を築けない人間になってしまいました。。
Q どのようにして、その劣等感を克服しましたか?考え方を変えたのか、どうやって気持ちを整理したのかなどを具体的に教えてください。
筋トレをして体重を増やそうと試みました。多少は普通体形に近くなりました。また、バンド活動をして自己表現したりステージに立ったりすることで自信を付けようとしました。
Q 劣等感を払拭するのに役立った周囲のアドバイス(言われた内容)、本などがあれば教えてください。
心理学者の加藤諦三氏の本はたくさん読みました。劣等感のメカニズムはわかりましたが、自分を変えるまでには至りませんでした。
Q 今となっては当時の劣等感をどのように考えていますか?
劣等感そのものを克服するより、自信が持てる能力を伸ばすことを考えたほうがよかったと思います。
Q 当時の自分に言葉をかけられるとしたら、どのような言葉をかけたいですか?
そんなことにこだわってないで、自分のいいところを伸ばせよ。お前が戦うべきはそのフィールドじゃないよ。
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とある男の痩せすぎコンプレックスとの格闘物語
さて、先に紹介した記事に集められている体験談は、克服例です。皆がこのように克服できたわけじゃありません。
筆者は、克服できなかった1人です。痩せすぎガリガリ体系のために、人生をダメにしてしまったような気がします。
どなたかの参考になればと思い、当然、匿名ではありますが、自分の体験をここに晒しておきます。
◆◆◆高校生時代◆◆◆
屈辱に耐えた日々
身長163センチ、体重41キロ。3年間ほとんど変化はありませんでした。
外を歩いていて「シンショウ(身体障がい者の侮蔑表現)だ」と指をさされたこともあります。屈辱的でした。
筋トレに小遣いを費やす
先の記事の克服例にあったように、筆者も当然ながら筋肉を付けようと試みました。
最大30キロまで重さを調節できるダンベル、1缶数千円もするプロテインで少ない小遣いと貯金は底をつきました。
いくら鍛えても、力は付いても筋肉の分量は付きません。いつまで経っても41キロのままです。
胃腸が極端に弱かった
夏の暑い日、炭酸飲料をコップ1杯飲むだけで腹を下しました。太れない原因はこれだったのでしょう。胃腸が弱かったのです。
中学生のころから学校を休むことはなかったのですが、修学旅行から帰ってきた途端に激しい腹痛に悩まされ、数日間学校を休みました。旅の緊張が胃に影響を及ぼしたのでしょう。
性格が卑屈になっていった
小学生の頃から社交的だった性格は次第に変わり、誰も信用しない偏屈な性格になっていきました。
卒業式の後も、一人だけパーティに参加せず、田舎町を逃げるように街の大学に進学しました。
◆◆◆大学生時代◆◆◆
隠れるように生きていた
「誰もがきっと、俺のことを指さして笑っているに違いない」という妄想は消えず、外を歩くのが恐怖でした。
大学の授業を受ける以外、アパートから出ることはあまりなく、近所のスーパーへ買い物へ行くにも、暗くなってから出かけたものでした。
それでもアルバイトをしなくては生活が苦しかったので、勇気を振り絞って社会の中へ出ていきました。
卑屈な性格では面接を通過することはできません。ありついたアルバイトは、店内改装、引っ越し、チラシ配り、訪問販売・・・楽しい人間関係を築くこともでなく、苦しい年月を過ごします。
自分なりに生きる術を考えていた
それでも、居心地の悪かった田舎町から飛び出した安心感からなのか、3年間変わらなかった体重は、数か月で3キロ増え45キロになりました。
当時、テレビで活躍していた漫才師の横山やすしの体重が47キロであることを知りました。
小さくて痩せていても、ハッタリをかまして睨みを利かせていたら世の中を渡っていけるのかもしれない・・・ある意味、横山やすしに憧れましたが、実態は、あまりにも対照的に気が弱い自分がここにいました。
雑誌を見ては護身術やケンカに勝つ方法などを研究しながらも、都会の片隅でおびえながら身を隠しているネズミのような存在でした。
もちろん女性と会話するような機会は皆無で、自分は、いろいろな経験や能力が欠落したままの欠陥品のような人間だと自覚していきます。
「異端児として生きる術を持つことはできないだろうか」いつもそんなことを考えていたような気がします。
体重の増加と比例して青春らしき経験もできるようになる
ただ、体重の方は、筋トレが多少は功を奏したようで、大学3年生になるころには52キロにまで増やすことができました。
外見が普通っぽくなっていくのに比例して、デパートの店員のアルバイトにもありつけましたし、バイト先で友人を作ることができるようにもなりました。
バイト時代の友人は、その後も長く友人であり続けています。
◆◆◆社会人生活と迷いの日々◆◆◆
ヨロイを被った羊
大学はストレートで卒業し、普通に就職します。卑屈だったガリガリ男ではなく、いかにも普通の青年として暮らしながら、その後転職を経験します。
しかし、彼女ができるわけでもなく、晴れやかな気分でもなく、何か大きな忘れ物をしてきたような空虚感にさいなまされるようになります。
そうなんです。ガリガリを克服しようと、いろいろなヨロイを被ったり、武器を身に着けたり、演技をしたりするうちに、自分が何者であるのか分からなくなってしまっていたのです。
心理学の本を何十冊も読みあさりました。すべて自分のことを言い当てられているようで怖くなりました。いかに自分が歪んだ人間なのかと。
自分の生い立ちを振り返って棚卸をしても、人間関係を変えようとしても、何も解決しません。
気が付くと、体重は45キロにまで戻ってしまっていました。
バンド活動が救いとなる
唯一、救いとなったのが、趣味でやっていたバンド活動でした。私は詞は書きませんが、メロディを作るときには、表現したいテーマや思いがあり、物語のようなものを紙に書きながら作曲しました。人知れず泣きながら曲作りをしていたこともあります。
いつまでも素直になれないヨロイだらけの自分も、自作曲の中には、悲しみや寂しさや弱さや苦しみを素直に投影することができたということだったのでしょう。
バンド活動に精を出してた30代は、人付き合いもそれなりに多く、女性との交遊もいろいろありました。
ただ「あなたは、自分で自分の良いところに気づいていないんだと思うよ」そんなセリフを残して去っていった女性がいたことがちょっと気がかりでした。
バンド活動によって素の自分を得たのではなく、もしかすると、覚せい剤のようなものだったのかもしれません。
◆◆◆結婚・育児◆◆◆
虚しさが訪れる
40歳を過ぎ、結婚をし、子供もできました。仕事と子育ての両立のため、バンド活動をやたことで、空虚な心が自分を包みます。
この段階においては「焦り」ではなく「空虚感」です。青春はもう取り戻せないのですから。
ガリガリだったことによって、・・・というより、ガリガリを克服しようとするあまり、歪んだ青春時代を過ごしたことの代償が今の自分のやるせなさにつながっているのかもしれません。
老後の不安
これから、いわゆる老後を迎えるでしょう。死ぬまでの間に、自分に平穏は訪れるのでしょうか。
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